犬小屋にネコ

ぐうたら図書館員がおくる猫の話。映画や本の話などもたまに。

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世界で一番有名なネズミがあれだとして、日本で一番有名なネズミはこの2匹じゃないだろうか。

「ぼくらの名前は、ぐりとぐら~♪
この世で一番すきなのはお料理すること、たべること。」(「ぐりとぐら」より)

この2匹のネズミを生み出した姉妹のひとり、絵担当の山脇百合子原画展をうらわ美術館でやっている。
そんなに絵本に思いいれの強い方ではないが、「ぐりとぐら」「いやいやえん」「もりのへなそうる」「そらいろのたね」・・・これははずせない。

ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)
(1967/01/20)
なかがわ りえこ

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あのフライパンいっぱいの黄色いカステラ。
動物みんなでちぎって食べるのは、本当においしそう。
たぶん山脇さん自身が食べることが大好きなのではないでしょうか。
みんなで食べるシーンでは大抵、少しずつたくさんの種類の食べ物がところ狭しと描かれている。
大きな動物なら大きい食べ物をバーンと口にしそうなものなのに、この世界ではみんなと同じ。
それをパクパクパクパク食べる。

青がぐり、赤がぐら。
野ねずみの兄弟だったんですねぇ。
あんまり考えたことなかった。


展覧会ポスターを見てから、特にへなそうる愛が復活してしまい、あのちょっとゆるいいきものが間違えた言葉はなんだったろう?と何日も頭をかけめぐる。
そのたびに「とうもころし」という言葉が浮かび、ああ!それはトトロのめいちゃんだから!と自分につっこみ。
会場で確認してすっきり爽快してきた。実家にも図書館にも本はあったはずなのに・・・

もりのへなそうるもりのへなそうる
(1971/12)
わたなべ しげおやまわき ゆりこ

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てつたくんとみつやくんが、お弁当を持って森に探検に行くと、不思議なタガモ(たまご)を発見。
また次に行くと、タガモはなくって、そこには変なかいじゅう(なのか?)がいて「たがもは知らない。ぼか、へなそうる」と自己紹介。
くーっ。かわいいやつー。
子どもの頃はそこのところより、”薄く切ったいちごをのせてハチミツをかけたサンドイッチ”に心奪われていましたが。

年代を追って原画をみていくと、ぐりとぐらも少しふっくらと肥えられたようす。食生活の潤いがお顔に出たのかしら?
最近のものは読んでいないけれど、やっぱり読み継がれていく絵本というのはいいな。
美術館ではあるけれど、子どもたちが楽しげにわいわいとしているのも山脇百合子の絵本ならではという気がする。

会場外には青と赤の帽子があって、ぐりぐら絵本の表紙みたいに撮影ができる。
(青のほうがとんがり部分が長いのです。知らなかった!)
お子さんたちいっぱい撮ってました。
いつの子が読んでも、子どもが好きなものは好きなんだ。

さて本を読んだその後は、食べてみたいもの。

e mook『絵本からうまれたおいしいレシピ ~絵本とお菓子の幸せな関係~』 (e‐MOOK)e mook『絵本からうまれたおいしいレシピ ~絵本とお菓子の幸せな関係~』 (e‐MOOK)
(2005/04/28)
きむら かよ晶子

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まあ、実際の絵本の味は読んだ人それぞれの想像の中にあるものだけど。
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31日で終わってしまう!と、半ば焦り気味で「丸木スマ展」に行ってきた。
JR北浦和駅西口を出てまっすぐ、公園の中に埼玉県立近代美術館がある。
都内では美術館も乱立して経営的にもいろいろ大変なんだろうなと思うけど、ここは埼玉県立だからかのんびりした雰囲気でよい。
子どもは中学生まで無料だったり、様々な椅子の収集に力を入れているようでしかもその一風変わった椅子たちがそこかしこに置いてあって、ご自由にどうぞとお尻に誘いをかけてきたりするのである。

丸木スマは70歳を過ぎてやっと働く必要がなくなり、そこから初めて筆をとった画家。
81歳でなくなるまで精力的に絵を描いてきた。
なんといっても、<絵を描くのが楽しくて、死にたくなくなった>くらい。
色使いがステキで、なんだかマティスみたいだなぁと思っていたらご本人もマティスの絵を見て自分に似ていると話していたそうだ。

ああ、これは才能なのだろう。
正しい構図やら基礎やらそういったことはなしにして、そのもののように描けないのないのだから自分流に描いてしまう。
それがまるで子どもが描くような純粋で奔放で頭が凝り固まっていない絵になる。
カチンコチンで感じるより考えてしまうの私は、羨ましくて仕方ない。
赤ちゃんから始まって、老人になるとまた赤子のようになるというけれど、それでもその無邪気さの中には長年の体験が詰まっている。やはりそれは、子どもの絵のようでいて子どもの絵ではないのだ。
スマさんの絵には、おおらかな力強さがあるのだと思う。

たくさんでてくるいきものたち。
いきいきと描かれているそれらに比べて、人間はたどたどしい。
遠くから絵を眺めると、パッといきものは目に入ってくるのに人間はそっと目立たない。
野菜より人間の方が小さいのだから!
動物に比べて人間がどうだ、とかいうわけではなく。
日常的に人間が自然とその土地に溶け込んでいるということを体感していたからこそなのではないだろうか。

熊谷守一の技術に裏打ちされたシンプルさもよいけど、はじけたおばあちゃん画家もまたよしでした。
(どちらにせよ、動物がかわいい。)
タイトルがまた印象的で、例えばチケットに描かれている猫の絵。
ごはんを囲んでいる猫を上から見下ろしている構図。そして、そのタイトルは<めし>・・・

それに明治の人は強くもある。
「評価が高いのは画家である息子夫婦が手直しをしているからだ」と言われ、見返すように自分自身で手作り企画展を開いてしまう!
そのポスターがまたすごく面白いので、ぜひ見てください。(あと4日で終わってしまうけど・・・)
そんな彼女が殺されてしまうというのは、やっぱり理不尽だ。

ふと、思う。
宮崎駿は「ぽにょ」を5歳児のために描いたようだけど、きっと<老人こども>にも受け入れられるのじゃないかな。
賛否両論でているとか、理屈で考えようとすると楽しめないとか、そんな話が聞こえてはくる。
理屈で考えるのではなく感覚で楽しむ。
それって本当にむずかしい。
だから「ぽにょ」を見てつまらなかったら、とてもつまらない人間だという烙印を押されてしまうようで偏屈娘は足踏みしてしまうのです。
でも、そんなこと考えることがすでに間違っているんだね。
まあ、単なる映画なわけですし。

スマさんが見たらきっとただ楽しんでみるのだろうな。
映画は監督や俳優の力量によって左右されるものなのかもしれないが、
一番の決め手は脚本なんだと思う。

先日あるドラマを見ていた。
現代の経済と企業のありかたを描いた硬派なドラマにしたかったのだと思う。
しかし、どうももったりしている。
スピード感がないというか、説明が多いというか・・・
本筋と主人公の私的なストーリーの二本立てにしたいらしく、主人公は頻繁に立ち止まってはああだこうだと話し合っている。
まるで視聴者に伝えるかのように。
そのために本筋の方が、ブツブツと途切れてしまうのだ。

うーむ、主人公が日本経済に立ち向かいつつ家庭の問題を解決するためにはいったいどんな脚本にしたら、視聴者を飽きさせないでいられるのだろう。

その答えが、この映画にあった。

『クラッシュ』でアカデミー賞を撮ったポール・ハギスの監督作品。もちろん脚本も書いている。
トミー・リー・ジョーンズ扮する元軍人である父親の元に、イラクからアメリカに戻った息子が出かけたきり基地に帰ってこないと連絡がある。
脱走するなどありえない、と父親はその行方を捜しに行く。
その地域を受け持つ警察の女性刑事はまるでルーティンのような自分の仕事にうんざりしている。
たいした用でもないのに警察に駆け込む人たちの多さ。
男性刑事からの圧力。
その二人が知り合って、苦い出来事の中真実に辿り着く。

行方のわからない軍人を捜すという本筋と、それにまつわる人々の日々。
それがいちいちセリフにして説明しなくても、ちょっとした仕草やシーンによって観ている方に無理なく伝わってくる。
正しく筋道が通っていて、この人の脚本は好きだな。
息子と同じ部隊の仲間たちの心情も丁寧に暴いていく。
手がかりとなる携帯画像の映像が要所要所に入ってくるなど謎も残されていて、最後にイラク兵の傷の深さに気づいた時誰もが戦争について考えさせられるだろう。

アメリカという国は、いつだって大きくて自国が正しいと思っている。
でもその中に住む人によってこんな結末の映画が作られるなんて。
そして何も言わず(かどうかは不明ですが)上映させるなんて、こればかりは頭が下がります。

あの父親と母親はその後もしかしたら夫婦生活が破綻してしまったのではないだろうかと
終わった後もつらつらと考えてしまった。

告発のとき@映画生活
ポール・ハギス監督作品
トミー・リー・ジョーンズ
シャーリーズ・セロン
スーザン・サランドン
まったくなんともいいかげんな大人ばかりでてくる映画である。
ぽろっと入ってきた祖父の遺産に突如仕事に行くのをやめ、やっと働き出すかと思えばカフェのマスターになりたいなどと言い出す父。
(しかもそれは、カフェのマスターなら美人客といちゃいちゃできるというヨコシマな考えがあるからなのだ。)
せめておしゃれなカフェになるだろうという一人娘咲子の希望空しく出来上がったのは、明らかに時代に逆行している純喫茶。

離婚して一人で暮らしている母もなんだかんだいって娘より自分だし、情が薄そうな美人店員素子も常連客もこの怪しい店に引き寄せられてくる人たちははっきりいってうさんくさい。

そう。裏を返せば、こぼれてしまった人たちも安心して落ち着くことのできる、居場所としての空気を放っている純喫茶。

そんな店で、文句をいいつつも結局は父をほっておけない咲子が過ごすある夏のお話。

大人だって完璧じゃないし、また完璧をめざして子育てしても物騒な事件が起きてしまうこの現代で、こうなったら父も母も自分の好きなことをしてふらふらと脱力で生きていった方が、とてもしっかりモノの子どもが育つのではないか。
生きる目的を子どもに持つのではなく、自分中心に考えちゃってもいいのではないか。
いや、だからといってすべての大人がこうなっちゃうと、それはそれでまずいのかもしれないけれど・・・
まっとうに育ってくれないこともありますしね。

「大人だっていつまでも青春したいって思ってるし、恋もしたいものなのよ。」
子どもの面倒もみないで、なにおう!と、思ってしまわないでもないけれど
普通の子どもから見れば、<大人>というもの、<父母>というものはそうゆう感情とは無縁のものだと思うものかもしれない。

誰だって生きていれば、あれもしたいこれもしたい。
したくなくたって、浮ついて、魔が差して、嘘ついて、自己嫌悪して、虚勢を張って、適当にごまかして、失恋して。
そこに、そんな気持ちをふっと和らげる喫茶店があれば、大人なら通ってしまうことでしょう。

純喫茶磯辺@映画生活
吉田恵輔監督作品
宮迫博之・仲里依紗・麻生久美子

ああ!ハリセンボンの春菜ちゃん!いい味出してました。
そういえば「ハリー・ポッターと死の秘宝」 (上下巻セット) (ハリー・ポッターシリーズ第七巻)が発売された。
これについての予約の話を以前ハリー・ポッターと図書館の予約者で書いたけど、書店でもいろいろ大変だったのだろうな。
たまたま発売の前日大手書店に行くと

「ハリー・ポッターは夜出す?」「いや!明日の朝一で!」

とか話しているのが聞こえて、
ああいったい何時に来て並べるんでしょうか。
大変だなと思いつつ、楽しそうだなとも思ってみたり。

図書館には発売日当日にちゃんと本はやってきて。
朝一で装備、受入です。
包装を解いてバーコード貼ったりして、合間に誘惑断ち難く最後のページをちょろっと。
でも結局シリーズを読んでいないのでいまいち理解不能でしたが。
急いで準備してお昼すぎには、予約を入れた誰かの元へ連絡がゆくのです。

装備中に
「いつ頃入るのですか~。」と電話をくれる方、「インターネットで予約したいのだけどタイトルが出ない~」と電話をくれる方。

受け入れても書架に並ぶことなく最初の予約者に引き当たってしまうので、予約してください。
本を図書館に受入(データ登録)してからでないと、ネットに反映はしないのです。もうしばらくお待ちください。

予想通り昔に比べると、予約数は減少している。
けれどやはり、発売されると気になるというのが人の心というもの。

そんな予約担当の仕事をしていて、たまに空しいと感じてしまうことがある。
なぜならじゃんじゃかやってくる予約申請書は、芸能人本、携帯小説、漫画エッセイ、ボーイズラブなどなど。
図書館をどう利用しているか、地域住民の気持ちが透けて見える。
貸本屋気分なんだろうなぁ。
読みたい本を希望していいんですよ。もちろん。
ただ、あまりにもそうゆう本ばかりだと・・・
同じ趣味の本仲間を作って回し読みとかした方が、楽しいのでは。なんつって。

しかしこれには図書館にも原因があって、本を借りる以外の図書館の利用法というのがまだまだ浸透させられていないということ。
図書館司書だって”本を貸してくれるおねーさん”(おばさんか?)だもん。
レファレンスとかビジネス支援とか頑張っている図書館もあるけれど、
司書の地位の高さに関してはアメリカを羨んでしまいます。

児童に対しては、本を読めばよい子になると思っているのか、自治体から予算がついたりイベントなどが行われたり授業の一環で図書館を利用したりしていて、結果的にただ本を借りる以外の使い方が伝わっていくならそれもよし。
こうゆうことが、一般の利用者単位にも行われていければいいけど、人員も予算も少ないのが現状で。
で、現状に逃げてしまっているのが現状・・・という。
ああ・・・

もちろん評論やら研究書やらを読みたいと思ってくれる人もいて、でも購入してもその人しか貸出されなかったりするとこれもまたへこんでみたり。
しかも全集に手を出したりすると、シリーズ買い続けるので「いい本なのに、誰か借りて~」と泣くのです。
うれしいことに岩波書店から発行された「網野善彦著作集 第1巻 」は、かなり貸し出しがあって
「買った甲斐があったね!よかったよかった」と、予約担当うれし泣き。

仕事をしていると、地域住民のニーズにこたえられているのかな。
図書館として役立っているのかな。
と、気になることばかり。
図書館員は執念深いのです。
いや、一般的にはどうだかわかりませんけどね。
単にワタシは執念深いってことなんですね。
闘う図書館員の記事で、辞書を隠されて困ると書いたのはどうやら3月のことだった。
そんな前だったのだ。
相変わらず時っていうのは、容赦なく進むものです。

他のみなさんは忘れているであろう、そんな脳内時効寸前の、諦めモード全開の事件に新たな、というか初めての手がかりが!!

うちの係にはとても頼れるスーパーアルバイトさんがいて、いつもあれやこれやお願いしている。
必然的に自分の担当の仕事になるので、辞書の闘いについても気にしておいてねと伝えておいた。

そのアルバイトさん、仮にYさんとしよう。
先日ふと、そのYさんが
「torotaさん、そういえば辞書の件で・・・」
と、話し出すじゃないですか。

どうやら、ある利用者が国語辞典の棚の奥に手を突っ込んでいたのを見た。
その人が去った後、見ると。
そこには辞書が隠されていたというのだ。

うおー。
興奮する図書館員。いきり立つ図書館員!

「でも一瞬だったしその人がしているところを最初から最後まで見ていたわけではないのです。
だから絶対入れたとは言えないの。でも・・・」

と、話は続く。

ある日図書館のフロアを歩いていたYさん。
机に日が差し込んで眩しくて困ると相談を受けたので、ロールスクリーンを下ろそうとボタンを押すと
ある利用者が「自分の席は暗いから上げたばかりだ。下ろすな」と怒り出す。
確かにその席は柱の影で薄暗い。が、しかし他の人全員の席は日がサンサンと差し込んでいる。
他の席をお薦めしても、自分はこの席がいいと譲らない。
結局、眩しくてと相談してきた人が席をうつり、他の人はあまりの剣幕に恐れをなしたのか「眩しくても大丈夫です。」と言ったのだそうな。

そもそも、ロールスクリーンのボタンは勝手に図書館利用者が押してはいけないことになっているのだがー

「で、棚に手を突っ込んでいたのはその人だったんです。だから自分の使いたい辞書が他の人に持っていかれないように隠しているんだと思うんですよ。」

確かに。
そんな自分本位の人ならありえないことじゃない。
うぉぉー。
犯人を追いかけていったいどれくらい?
見つけては戻すのいたちごっこ。
相手も相手だが、自分もよくやるなぁ。

しかし、ここに来てやっとホシの手がかりが!!
もちろんそのヒトが犯人と決まったわけではない。
ずっと見張っているわけじゃないし、結局は違うかもしれない。

でも

「出勤の日は必ず辞書がいなくなってないか、チェックすることにしました。
ワタシ気にしておきます。」

心強い相棒登場が一番うれしい。

torota

Author:torota
寒いとつい、家でゴロゴロ。
お外にでようか、ぬくぬくしようか。

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